胃が痛い

もう最近、あまりにも過食で飲み込めなくなっている。

吐き出したいけど吐き出す場所なんてどこにもない。

世の中のみんなはどうしてるんだ。

ドガ展に行って来た。

ドガ展に関する自身のつぶやきまとめ。

・今日はドガ展見にみなとみらい行ってきた。

・ドガのフルネームが【イレール・ジェルマン・エドガー・ド・ガス】っていうのがいっちゃんおでれーたぞ。

・『エドモンド・モルビッリ夫妻』は3ヵ月くらい前にボストン美術館展でも見た気がするのは気のせいか。

・ドガが描く肖像画のモデルは黒い服か白い肌だった。印象派は【一瞬の光】をとらえると言われるが、ドガは【一瞬の動き】をとらえる、そのため印象派の画家の中では唯一と言っていいアトリエ画家である。

・そのため、彼が描く対象も描き方も印象派の中では一風変わっている。ブルジョワ的なモチーフが多く、対象の輪郭を意図的に描く。また黒を多用する。

・所謂、一般的な印象派のような陽光溢れる風景画というのはほとんどない。また浮世絵の影響が見られる作品も多いが、ゴッホやモネのように単純に浮世絵的対象をキャンバス内に描くのではなく、構図や視点などの技法的な影響が大きい。

・モリゾの姉の肖像画があった。まぁ妹の方が可愛い。

・印象派には珍しく綺麗な一転透視図法を用いた作品も存在するが、そのような作品は空気遠近法を併用した作品が多い。

・今回の展覧会のイチオシ作品はやはり、パンフ、ポスターやチケットにも使われている【エトワール】だろう。他の作品とは離れた専用空間に一点だけ展示されていた。配色も構図も背景の描き方もドガらしさが如実に出た名作である。あ、そういえば、アブサンは無かったな。


総括

ドガは若い頃ルーブル美術館に入り浸り、模写を凡そ500枚も繰り返した。
その精度は素晴らしく、「印象派」画家でも綺麗な遠近法で描く技術も当然だが素晴らしい。

やはり基本なのだ。大事なのは基本なのだ。正統、正論ができて(知っていて)、その後に独自の思考、独自の技術が生まれてくるのだと考えさせられた。

また晩年は視力の低下により、色彩への精度が落ちたためか、彫刻に傾倒するようになった。その芸術家としての飽くなき探究心というか継続の力にちょっと感動した。

個人的に一番の心震えた作品に関するエピソードが、こちら

Edgar Degas.【Portrait of Monsieur and Madame Edouard Manet】. c.1868-69. Oil on canvas. Municipal Museum of Art, Kitakyushu, Japan.

この絵は、ベッドに横たわるマネとマネ婦人がピアノを弾いてある絵だった。「だった」というのは、この絵はなんと右端をマネによって切断されてしまったのだ。その理由はマネがその描かれた婦人の出来が気に食わなかったからというもの。

その頃のエピソードが、こちらのサイトで紹介されていた。

マネはその夫人が美人である事を自慢にしていた。夫人がピアノを弾くのをドガ達は聴きに行った。むしろマネに会うよりその美しい奥さんに会うのを楽しみにしていたようだ。マネはドガ達が親しげに話すのを快く思わなかった。ドガが美人の奥さんとマネを描いた絵を贈ったらマネは奥さんの顔の方を切ってしまった。そんな勿体ないマネしないで欲しい。83才で死んだドガは余りマネーは無かったとか。

明日はドガ展。

明日は彼女と一緒に美術館→中華街というリア充っぷりを十二分に発揮してくるぞよ。
帰って来たらレビュー書きます。どこの肉まんがうまかったとか、彼女のにくm(ry

ウォルトの話

いつものバーで隣にいたおっちゃんが誕生日だった。

しかもそのおっちゃんはアメリカ人で、さらに還暦だ。そんな記念すべき日の終りに隣にいるのがこんな冴えない男でいいのか疑問だが、いてしまったもんはしょうが無いのでその晩はおっちゃんと話し込むことになった。

おっちゃんのスペックを紹介すると、

1950年の9月某日生まれ。(外国人証明書みたいなもので確認済み。)ワシントンDC出身。ここ10年はアメリカに帰っておらず、現在は中井に住んでいる。(聞いたところ僕の家から徒歩3分くらい)イチローを神とあがめ、ウイスキーの水割りを好む。家族はアメリカに住んでいて、日本には来ないらしい。

とりあえず、二人でかなり盛り上がって、僕も気づいた時には全部で10杯近く飲んでいた。最後の方は彼も酔っていて「今日はすごく楽しい、楽しいよ」って連発してた。それを言われると僕もすごく嬉しかった。やはりこういう出会いがあるから、一人飲みは辞められないのだなぁ。

number0のライブに行ってきた。

「昨日はKyteのライブ@恵比寿Liquid Roomに行って来た。」

当前、KyteのJapan tourなので、「Kyteのライブに行って来た」という表現が昨夜Liquid Roomで溢れ出る音に身を預けた凡そ1000人の人間たちには一般的なのだろうけど、個人的フォーカスはオープニングアクトであるものの、「number0がLiquidで演奏する」というものを観て、聴いて、魅せられるため、だったので、素直にこの投稿のタイトルは「number0のライブに行ってきた」とすることにした。

まずはKyte。ステージ後方から前方に向かう逆光の黄緑がかった照明の中に浮かび上がるメンバー達を、最後列に立つ僕は人と人の頭の隙間、隙間から目視する。
シンセ&ギター、ベース、ドラムの肉体派に囲まれるヒョロッしたボーカルのニックから出てくる乾いた中にも力のあるボーカルが(髪をクシャクシャするのが)魅力的。CDでしか聴いたことの無かった音楽がリアルで聞ける喜びはあるものの「ライブ感」という意味では、もう少し野性的な感覚が欲しかった気もした。演奏は全体的に綺麗にまとまっていた印象を受ける。それはきっと僕が彼らの演奏を生で聴くのが初めてだったのも少なくない影響を受けている気もするので、次回また来日することがあればきっと違った印象で満たしてくれるような気がする。

で、number0。

Set Listは、
1:Cyclorama
2:Etoile
3:RoundRound
4:Quine
5:In the womb
だったかな。なんか一個足りない気もするが、それはまぁわかり次第訂正することにしよう。

僕は友人達と前から5列目?くらい若干右寄。会場はほぼ満員と言っていいだろう。ステージ上にサンプリングパッドが置かれているので、とnumber0ファンの人なら「まさかあの曲をやるのか」という期待を持ったことだろう。

Kyteのオープニングアクトという前代未聞の重責を負い、且つ、過去最大規模の箱でしかもどことなくアウェイの雰囲気の中ステージ上手から登場。東京でのnumber0のライブに行けば、今までは知っている顔をチラホラ見かけ、ライブの度に知り合いが増えたりするのが常だった。ライブ会場という場所には似つかわしくない「憩いの場」的な役割を担っていたのかもしれない。だが今回は違った。おそらくnumber0を知らない人が多数派で、シガーさんのMCに茶々を入れる空気なんてさらさら無い。そんな会場で彼らがどんなパフォーマンスを披露してくれるのか、どこか初めて子供の学芸会を見守る親の緊張感(そんな経験は無いけど、おそらく。)にも似たような心持ちで19時、開演を迎えた。

いつものようにプロジェクターからの映像をステージに当てるという演出だったが、バックを含めステージが全体的に黒だったので、効果はいつもに比べ今ひとつ。メンバー全員が白装束で演奏すれば少しは変わったかもしれない。

演奏は出だし少しフワっとした印象を受ける。シガーさんの声が震える。緊張感が否が応に伝わってくる。流れるように3曲。お客さんの大きな拍手が聞こえる。Quineの大好きなアルペジオの旋律。藤井のスティックが上下左右に流れて、小林さんの右手がair synthの上で上下し、ソーキくんの首が左右に動く。RoundRoundが始まる。鳥肌が立った。少し泣きそうにもなった。曲はInthewombに入った。今ではお馴染みの最後の曲だ。重低音だが優しい出だし。藤井のスティックが変わり、中盤以降からドラムのピッチが上がり、それぞれの音圧が増して行き、ピークが過ぎ、音は収縮し、元ある所に帰っていく。大きな拍があり、あっという間に30分が終わった。脱力した。

演奏後、一旦メインフロアを離れてタバコを吸いに行く。そうしないといけなかった。このままの流れでKyteを聴くには、僕も、おそらく僕の横にいた知人の2人も余りに疲れていた。そしてその30分間を振り返るにも、たいして覚えていなかった。あっという間の30分だった。演奏終了直後、真後ろのお客さんが、

「オープニングアクトどうだった?」
「結構良かったんじゃない?というか日本人だったんだな」

という話をしていたのがすごく記憶に残っている。

演奏後に昔のRalleyに入る前からのnumber0をよく知る友人と話していて「昔はさ、お客さんが10人くらいの頃もあった」という話をして、それから「小林さんがギターを弾いていた」「藤井はボウズだった」なんて話まで出た。

今日は大阪でのツアー二つめの演奏が待っているらしい。きっと東京以上のアウェイだろうけど、そんな会場がnumber0には合うのかもしれない、そんなことを初めて思ったライブだった。
コミュニケーションにおいてネットとリアルの境界線があまりに無くなってきてうまい使い分けができなくなっている。

シャガール展に行った。@東京学芸大学大学美術館

























Marc Chagall. 
【To Russia, with Asses and Others.(ロシアとロバとその他のものに) 】
ca. 1911/12. Oil on canvas. 156 x 122 cm. Musée National d'Art Moderne, Centre Georges Pompidou, Paris, France.
さて、今年行った展覧会はいったい幾つ目なのかそろそろわからなくなってきました。
ブログを振り返ればわかるかなと思って、ちょっと振り返ってみてみたところ、
ゲルハルトリヒター展
「マネとモダン・パリ」 、
「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」
「ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち」
「ストラスブール美術館所蔵 語りかける風景 コロー、モネ、シスレーからピカソまで」、
「モネ・ルノワールと印象派・新印象派展」


ぐらいでしょうか。いわゆるストラスブール展に関してはブログでは触れなかったみたいだ。
さて、というわけで今回のシャガール展でおそらく7つ目の展覧会になる。おそらく今後が横浜美術館のポーラ展、ドガ展。国立新美術館のゴッホ展となるので、今年は10会場くらいにいくことになる予定であり、結構多いなぁ。


というわけで、タイトルのシャガール展。
閉館時間ギリギリですべりこみセーフだったおかげで早足で見て回らなきゃいけないことになった。
会場は五つのパートに区切られている。


Ⅰ. ロシアのネオ・プリミティヴィスム
Ⅱ. 形と光―ロシアの芸術家たちとキュビズム
Ⅲ. ロシアへの帰郷
Ⅳ. シャガール独自の世界へ
Ⅴ. 歌劇「魔笛」の舞台美術


Ⅰ. ロシアのネオ・プリミティヴィスム
ここは、ネオ・プリミティズムの代表者、ナターリヤ・ゴンチャローワ、ミハイル・ラリオーノフの2人の作品と一緒に、シャガールの初期の作品が多かった。この絵はその中の一つ、マルク・シャガールの【アトリエ】という絵であるが、どことなくゴッホの作品の影響を感じられる。すぐに連想されるのは【ゴッホの部屋】
である。歪んだ部屋にまたもや歪んだ家具がならんでいるのだが、全体としてはしっかりとした安定感が一枚のキャンバスの中に見られる。この時期の色使いは比較的どの作品も全体的にくすんだ暗い印象。製作年が1910年以降ということだが、シャガールは1910年にパリに移住しているので、そこで住んでいた「蜂の巣」(ラ・リュッシュ)と呼ばれるアトリエかと思われる。この時期のすぐ後には、その当時20世紀初頭にパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックらによって創始されたと言われる所謂キュビズムに触れることになる。


Ⅱ. 形と光―ロシアの芸術家たちとキュビズム


時代的には1911~17年くらいか。印象的なのはこの投稿の頭に持ってきた絵、【ロシアとロバとその他のものに】である。この絵だけキャンバスの背景に緑の壁が設置され、芸大側の「ほら、これが注目の絵だぞ」という圧力が感じられるが、そこはむしろこの作品への芸大側からの最大のアシストであるとも言える。漆黒に浮かぶ一部を直線で描かれたロバと首が切り離された人間の立体感が印象的。またロバの乳を吸う子供にどこか一抹の恐怖を感じる。色使いはやはり少しずつ鮮やかになり始め、シャガールのイメージである、赤、青、黄色、などをこれでもか!と浴びせ始める中期、後期へのつながりや、キュビズムへの系統が少しづつみえはじめる。この時代の他の作品を見れば、初期との違いがよく解かるので、幾つか載せておくことにする。




Marc Chagall. Adam and Eve. 1912. Oil on canvas. 160.5 x 109 cm. Saint Louis Art Museum, St. Louis, MO, USA.





Marc Chagall. Self-Portrait with Seven Digits. / Autoportrait aux sept doigts. 1912-13. Oil on canvas. 128 x 107 cm. Stedelijk Museum, Amsterdam, Netherlands.

Ⅲ. ロシアへの帰郷


Marc Chagall. "Grey" Lovers. 1917. Oil on canvas. 69 x 49.


この時代は、全体的に空虚な表情やキャンバス全体に「硬い」印象がある。この作品もどこか人間というより人形的で表情は無く、背景もモノトーンで描かれている。その中でも女性の赤い服がやけに目立つ。これの作品の隣に【緑色の恋人たち】という作品があったが、そちらも似たようなタッチで描かれている。この時代のロシアは革命が終わったばかりであり、その頃のロシアの内情の影響もあるのかもしれない。少なくともパリで描かれたような色彩による鮮やかさはあまり見られない時代だ。描かれている二人がこんな至近距離に置かれなければ、とても"lovers"であるとは思えないほど楽しくなさそうな恋人たちである。
さらにここのパートに【墓地】という作品も並んで展示されている。この作品はタイトルはおっかないが、絵は大変、素敵な墓地である。パッと見てゲゲゲの鬼太郎の「夜は墓場で運動会」の会場にぴったりだと思った。



とまぁ、こんな感じで、後半のⅣ. シャガール独自の世界へ、Ⅴ. 歌劇「魔笛」の舞台美術、というこれぞシャガール!というパートに関しては、次の投稿にしたいと思う。シャガール展というだけあって、シャガールの作品に対して触れているが、もちろんその他のロシア・アヴァンギャルドの作品も十分に見ごたえがある。さらに一つ触れておきたいのは、この東京学芸大学大学美術館の展示方法である。壁紙の色を変えたり、音楽を流したりと、その展覧会場の作り方、作品の見せ方がとても素晴らしく、そういう点も気にしながら行かれる方は見てきて欲しい。




 『シャガール-ロシア・アヴァンギャルドとの出会い』展公式twitterアカウント→こちら

 『シャガール-ロシア・アヴァンギャルドとの出会い』展公式HP→こちら



松岡美術館に行った。やることねーからな。


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松岡美術館に行って来た。

Matsuoka Museum of Art 松岡美術館公式サイト

モネ・ルノワールと印象派・新印象派展】が僕の妹の誕生日の前日(9月26日)までやっているというもっぱらの噂で、自転車でひたすら明治通りを南化して、さっさっさっと曲がったところにある松岡美術館に行ってきたよ。

入り口でチケ買うとすぐにディエゴ・ジャコメッティの【猫の給仕頭】が出迎えてくれる。これ、超かわいい。今写真持ってくるから、みんな見て見て。えーっと、えーっと、これこれ。

























超かわいいよ、猫。超かわいいよ。こんな猫欲しいよ。
猫「ご主人様、晩ご飯の用意ができましぁ。どらやきです。」
俺「帰れ(土へ)」
猫「・・・。」
俺「・・・嘘やで!!」
とかやりたいよ。

というわけでテンションウナギ登りで展覧会スペースの2階へ。
部屋は2部屋に分かれています。
まず一つめの部屋。
モネ、シスレー、ルノワール、ピサロといった感じ。意外にも巨匠の名前がずらり。
作品はあまりメジャーではないし、年代も全盛期のでは無かったりするが、逆にそれが貴重な空間を作り出している。気に入ったのは
ピエール:オーギュスト:ルノワールの【リシュアン・ドーテの肖像】という絵。
赤い背景に少女が座っているのだが、やっぱりすごいのが肌の質感。もうね、ちょうぷにぷにのまるまる。ポヨンポヨンのスーべスベであることが伝わってくる。今このブログをご覧になっているあなたがどれだけ努力して、コスメったところでかないやしない、そんなサンクチュアリー。やはりルノワールのすごさは「肌」である、というか、ルノワールの描く人間の質感が好きである。彼は印象派の中でも肖像画を多く描いているので是非ご覧になって欲しい。こことかで。そういえば、この展覧会のチケットやポスターに使われてたのこの絵だったはずだ。

で、二つ目の部屋。
作者としては、アンリ・モレ、マクシム・モーフラ、ギュスターヴ・ロワゾー、ルイ・ヴァルタとなる。
正直に言ってこう字面で並べてみても、「え?だれそのひと」っていう人たちばかりだ。
アンリ・ルソー、マキシマム・ザ・ホルモン、ギュスターヴ・モロー、ルイ・サハとかだったら「おーっ!」ってなるのだが、「お~?」ってなるメンツばかりだ。
だが、しかし、ばっと、はうえばー。
意外にも心を打つのは、こっちの部屋だ。

印象的なのは、アンリ・モレの【ブルターニュの海岸】
陸と海の構図から配色から絵の具の力強さまで、とにかく圧倒的圧力であった。
穏やかな海岸にも、繊細だが力強い筆運び。とにかく個人的にはこの展覧会イチオシである。

あと、アンリ・マルタンっていう画家の作品が最後に4点あったんだが、どれもよかったなあ。絵が無いのが残念だけど。




あと、残念繋がりでもう一つ。この美術館、写真撮影OKなのね。帰って来てから気づいたよ。あと、美術館に行くと毎回マグネットを買う僕だけど、今回はなぜかマグネット売ってなかったよ。まぁ、とりあえず、作品数もそんなんい多く無いのでさくっと見れてオススメです!これから幾人は是非カメラを持っていってらっしゃい!

次回は『東京学芸大学大学美術館に行ってきたよ。自転車で。』になる予定です。

高ければ高い壁の方が登った時めっちゃ汗かくなぁ。

うるとらグループのブログが完全にもぐら食堂の日替わりランチ案内ブログに成りまして久しいですが、皆様如何お過ごしですか。暑いですね。みんなマキシ丈ワンピですね。ホットパンツすくねえよ。


というわけで、ヒサビサのブログ更新。何故って、プロバイダーを変更したからよ。何故って安いからよ。月々6000円切るのよ。前まで7000円弱払ってたからね。プロバイダーってちょっと名前が一人歩きしてるよね。名前自体が過大広告だよ。そこまでプロバイドしてるかって言うと疑問あるよ。ねぇ?

あと、昨日は、あれよあれ、借りぐらしのアリエッティをみてきましたの。
いや、面白かったですよ。普通に何の予備知識もないまま観ましたけど、設定の時点でアレは勝ちですよ。ただちょっと切なさが残りますね。それとハルさんが怖い。やたらと表情がリアルで、人間の怖さが出てる。途中社会問題的な話を持ち出すけど、それはそれほど重くない。どっちかって言うと、少年とアリエッティのやり取りの方がメイン。それにしても、借りぐらしアリエッティ、っていうタイトルはとても美化した言い方で、簡単にいうと、借りぐらしのアリエッティ、は、小人泥棒少女とメンヘラ少年の僕たち私達イチャイチャしたいお!である。

それと、マキヒロチ先生これ、なんか昔の僕に似てる。それとtwitterやりましょうよ。




飛んで飛んで飛んで飛んで回って回って回り過ぎ

アンドロイドより投稿。

初代うるとらカフェ番長によるあなたの今夜の入浴剤的ブログ。

http://nidanryuchi.jugem.jp/?eid=149

初夏の爽やかな休日にテニスをたしなむあなたへ。運動後にレモンスカッシュ片手にどうぞ。

おなべの中からボワッとインチキおじさん登場したことがない。

もうなんかいちいちカオスすぎる。

壊れそうなーもーのばかーり集めてーしーまーうよー。えーっと、ラジオとか。 by徳永英明

●えーっと、ワールドカップがついに残り2試合ですね。

3位決定戦がドイツ―ウルグアイ。まぁおそらくドイツはミュラーも帰ってきてベストメンバーでしょう。でもウルグアイも今大会素晴らしかった。予選は無失点で1位通過。決勝トーナメントも、韓国と1点差、ガーナにPKなど、大勝という感じでないが、勝利への執念は素晴らしかった。スアレスも戻ってきてこちらもおそらくベストメンバーでしょう。ウルグアイは上背は無いが、裏へ飛び出す技術は素晴らしいものがある。ドイツDFは高さはあるが、速攻には弱い印象。ドイツに引かれるとウルグアイは厳しいか。前半戦でウルグアイ先制となれば面白くなりそう。

決勝はバルサ―オランダ。じゃなかった。スペイン―オランダ。
ボールポゼッションはややスペインに有利かも。攻撃力は互角だろう。ただオランダは今大会FW全員の合計得点とスナイデルの得点が同じというところからも、FWはあまり好調とは言えない。逆にスナイデルは絶好調である。スナイデルの出来に左右されるというところが若干の心配。


●先日誕生日を祝ってもらった。
祝ってくれた方、本当にありがとうございました。プレゼントされたものは、すべて大活躍中です。

●プロバイダーを変えることにする。OCN→SONETにする。

●よく行くBARがツイッタ―を始めた。アカウントは @_timegate_ です。

休日はよく消せないアドレスMのページを指でたどったりしています。

最近よく行くお店。定食屋。キッチンタカハシ。


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キッチンタカハシを紹介しているネットの記事、ブログとか。

http://okiniiri.asablo.jp/blog/2008/11/14/3983941
http://mex.jugem.jp/?eid=157

同じSTEPの毎日じゃ生きてることさえ忘れちゃうそれじゃ張りがないのか。

2chも捨てたものじゃない。とても暖かくなるスレでした。



日本代表が帰国したら空港で駒野に投げつけるもの決めるぞ









ファミマ△


弱2年

のりのり日記ののりこのどちらかさんが、「弱2年」という表現を使っていて、2年弱、じゃね?と思って、でもまぁ、弱2年でも伝わるよなぁ。新しい表現なのかなぁ、って思っていたら、さらに弱2年前っていうさらに一枚乗せた表現まで飛び出して思考回路はショート寸前の吉田です。

ワールドカップ始まったね。昨日でとりあえず全チーム初戦を終えたわけだけど、初戦の中での好ゲームを上げるとしたら、ガーナ-セルビアかチリ-ホンジュラスだろうね。もう試合の駆け引きというか、サッカーの醍醐味が存分に出てたね。両試合とも誰もが知ってる世界的スター選手はいないけど、それでも、見ていて熱くなったのはやはりこの2ゲームでした。

試合の流れも雰囲気も僕が熱くなった理由も全然違う2試合だけど、とりあえず、ガーナ、セルビア、チリ、この3チームにはこれからもちょっと一目を置いていこうかと思っています。

ニューヨーク荘→いまにみてろ

今日のことだ。というか、ついさっきのことだ。RSSでニューヨーク荘のこの投稿を読んだ後、そのつぎにいまにみてろのこの投稿を読んで、ジャンルは違えども二人のアーティストが目の前で急にセッションを始めたようで、感動した。

オルセー美術館展(セザンヌ編)

twitterで精神科医にフォローされている吉田です。どうもこんばんは。

今回は、
オルセー美術館展(モネ編)
オルセー美術館展(ドガ編)
オルセー美術館展(スーラ編)に続いて、

セザンヌ編です。セザンヌの作品は全部で8点。その中で僕が注目したのはコレ!!



Paul Cezanne The Kitchen Table 1888-1890 oil on canvas Musee d'orsay, France

1890年前後にセザンヌはリンゴや西洋梨やオレンジなどをテーブルに無造作に並べた物をモチーフに、静物画を何枚か描いている。よく対象物を個々に見てみれば、彼の作品は空間的な正確さはそれほど重要視していない代わりに、それぞれの個を大胆な色使いでデフォルメさせて存在させていることがわかる。そしてそれぞれが異なった視点から描かれていることがわかるだろう。まず手前のテーブルの端は白い布を堺に左端と右端で見ている角度が違う。壺はもっと上からの見たような角度で描かれているし、果物それぞれもどこか落ち着かいない。ポットもやや斜めに傾いているように見える。このように多視点から描かれた物が同一キャンバス内にしっかりと収まっているのだが、この試みは、次の世代のピカソやブラックを代表するキュビズムへと受け継がれていくことになる。



今回の展覧会にはないが、その他の静物画を下に紹介する。



Paul Cézanne. Still Life with Peaches and Pears. 1888-90. Oil on canvas. The Pushkin Museum of Fine Art, Moscow, Russia.



Paul Cézanne. Still Life. c. 1890. Oil on canvas. Barnes Foundation, Lincoln University, Philadelphia, PA, USA.




Paul Cézanne. Still Life with a Skull. 1895-1900. Oil on canvas. Barnes Foundation, Lincoln University, Philadelphia, PA, USA.

オルセー美術館展(スーラ編)

オルセー美術館展(モネ編)オルセー美術館展(ドガ編)に続いて、第三弾。

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えーっと、今回は、スーラです。出ました。天才、スーラ。いやぁね、この人は天才だよ。印象派とその周辺の画家たちの中では飛び抜けて天才だね。それで飛び抜けて金持ちだね。まぁそれは関係ないけど、感覚や経験則からくる描き方ではなく、完全に計算し尽くされた手法。まぁ実際に見てみたら分かると思います。JPEG画像なんかでみるとちょっと悲しいくらいです。でもまぁしょうがないですね。今回はスーラと新印象主義。スーラの作品は全10点くらいありましたね。

クロクトンが多かったですが、まぁそれでも点描画とは何か、新印象主義とは何かを知るには十分な量です。その中の一つがこれ。さっさと絵を出せって話ですね。小話ばかりでは飽きますからね。はい、これです。「ポール・アン・ベッサン満潮時の外港」です。













Georges Seurat (1859-1891) Port-en-Bessin, avant-port , marée haute 1888
H. 67 ; L. 82 cm

別にこれはスーラの代表作でも何でも無いですが、やはりこういう「水」のある風景ってのは好きですね。Port-en Bessin関連では1888年にコレ以外にもいくつか書いていますが、曲線と直線の使い方が絶妙ですね。自然の曲線と人口の直線の融合が素晴らしいです。でも見た瞬間はどうも悲しい絵に見えたんですが、あれはなんででしょうか。いまでもよくわからないのですが。
とりあえず、実物はもっと明るい印象かと思います。この画像で見ると若干くすんで見えますので是非みなさんも足を運んで立ち止まってみて欲しいと思います。

でね、このスーラなんだけどね、説明が多くなるのだよ。この人。ちょっとね、モネのところで触れようと思ったこととかも、「まぁスーラの回で説明すりゃいいか」と思いきや、事の外この人の場合どうしても技術的な話をせざる得ないのだね。でもそいつはすんごくめんどくさいわけ。だから、こういうのはどうだろう?


加法混色
減法混色
筆触分割

ここらへんのさ、単語をさ、みんなそれぞれググッてさ、それで、再び、このブログに戻ってくればさ、これとか、




A Sunday on La Grande Jatte. 1884-86, Oil on canvas, 205x305 cm. Art Institute of Chicago, Chicago, IL, USA


これとか、





Georges Seurat. Bathers at Asnières. 1883-84. Oil on canvas. National Gallery, London, UK

見たことあるでしょ?
どうだろう、少しスーラの絵がわかった気がしない?え?しない?じゃあ帰れ。

オルセー美術館展(ドガ編)

オルセー展に行った(モネ展)の続き。
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今回はドガ編。本名はエドガー・ドガ(Edgar Degas)。大泉洋が水曜どうでしょうのヨーロッパ北欧編で「ここにデガスの絵を飾るとはデガスた(でかした)!」と言ったことで有名かどうかは知りませんが、本当はデガスではなく、ドガ、と読みます。

そんなドガ(どんな?)の今回東京に来た作品は「階段を上がる踊り子」がコレ。



Edgar DegasDancers Climbing a Stair. c.1886-1890. Oil on canvas. Musée d'Orsay, Paris, France.

まぁこのドガっておっさんは劇場とかカフェとか、印象派の画家にしては屋内の絵が多いんですね、だから必然的に人物がキャンバス内に多数描かれています。というか彼の絵の3分の1くらいはバレエダンサーじゃないかと思うくらい多いです。それも練習風景ばかりで、どれも幼い10代かと思われる女の子ばかりです。ロリコン入ってたんでしょうか。10代のヒラヒラのスカートはいた女の子の絵ばかり描く、という言い方をするとどことなく変態的な感じがしますね。どうでもいいですね。

で、上の絵なんですが、まず思うのが、やけに横長のキャンバスだな、っていうことですね。
もちろんドガの絵全てを知ってるわけでは無いですが、ドガの絵の中でもだいぶ横長の方かと思います。というか、彼は印象派の画家の中でも横長のキャンバスを多く使う人ですね。競馬の絵でも横長の絵があったかと思います。

この絵を見る時に、どことなく左から右へと視線を動かしながら鑑賞していたような気がします。それくらい横長です。

奥の方で練習している女の子がいますね。中央の女の子は遅刻したんでしょうか、慌てて階段を駆け上がって来たような雰囲気です。左側の二人はなにやら話していますが、頭だけ描かれた少女はなんやら手で頭をかいています。なんだかあたふたしているような様子です。「ほら、早く、練習始まってるよ!」と声を掛けたくなります。なりませんか?僕だけ?

あと、注目すべきはこのアングル。個人的なドガのイメージは、アングルの魔術師、って感じです。モチーフを真ん中に書かなかったり、変な視点だったり、変な構図だったりします。

じゃあ、僕のピクチャーフォルダからまたまたいくつか他の例を紹介。
例えばこんなの。




Edgar DegasBallet Rehearsal on the Set. 1874. Oil on canvas. Musée d'Orsay, Paris, France.








Edgar DegasThe Star. 1876-77. Pastel on monotype. Musée d'Orsay, Paris, France.

ここら辺は、バレエダンサーですね。で、次は面白いアングル、視点系。




Edgar DegasMlle La La at the Circus Fernando. 1879. Oil on canvas. The National Gallery, London, UK



Edgar DegasThe Tub. 1886. Pastel on paper. Musée d'Orsay, Paris, France.







Edgar DegasPortrait of Monsieur and Madame Edouard Manet. c.1868-69. Oil on canvas. Municipal Museum of Art, Kitakyushu, Japan.


で、最後に有名なアブサン。アブサンは余りにも強いお酒で一時製造中止されたほどです。見た目はハイクラスの女性がアル中になって、しかもこの虚ろな目。こういう社会性のある絵も描くんですね。劇場やらカフェやらドガ自身、中流階級以上の人間であったことがわかるかと思います。


Edgar DegasThe Absinthe Drinker. 1875-76. Oil on canvas. Musée d'Orsay, Paris, France.

どの絵を見ても、一目で彼の作品だとわかるその構図やアングルそしてモチーフからデッサンまで、その個性は印象派の中でも群を抜いていると言っていいでしょう。さてさて、今回はこのあたりでお開きにします。次回は、えーっと、誰にしよう。スーラかな。うん、そうしよう。点描画の父と言っていいでしょうか。スーラの作品に注目。ではでは。







追記。

あ、あと、この絵も好きなんだけど。女性が中央に描かれないで、花が中央なのよね。




Edgar DegasWoman with Chrysanthemums. 1865. Oil on canvas. The Metropolitan Museum of Art, New York, USA.

オルセー美術館展(モネ編)

オルセー行った




のは、2007年だったか。4日間くらいの強行スケジュールで美術館を6個くらい回った。エッフェル塔も凱旋門も見ずに、ただただ美術館と蚤の市だけを回った。オルセー、ポンピドゥー、ルーブル、オランジュリー、マルモッタン、ロダン(アールデコも入れると7つ?)。まぁ一人旅だからなせる技でしたね。ピカソも行こうと思ったけど、時間的なものとバルセロナのピカソ美術館に行ったのでパリではパスしました。まぁ誰かと一緒じゃああはできなかった。あの旅行の中で一番の個人的に見所がオルセー美術館で、規模はルーブルがバカでかいので比較にはなりませんが、僕の好きな年代の1850~20世紀初頭くらいまでの名作がづらりと揃っています。だから、実際の旅の中では、ルーブル美術館にかけた時間もオルセー美術館にかけた時間もさほど変わらなかったと記憶しています。

そんな思い出のオルセー美術館の展覧会が東京は六本木の国立新美術館で開催中だったので先日行ってきましたよー。

(最初に断っておきますが、モバイルでご覧の方でテキストのみで画像が表示されない人にはなんにも面白くない投稿なのでPCでご覧になってください。)


展覧会が始まってから最初の週末だったから超混雑。でもまぁそれでも時間はかかったけど存分に楽しめました。サルコジ大統領が「これらの絵画がまとめてフランスを離れることは2度と無い」と言っただけあります。まぁ今オルセー美術館が改修工事中なので、それを機に、ってことではあるんですがね。

というわけでまぁ、えーっと僕が気になった作品をいくつか。先日、ボストン美術館展では作品一覧表をもらえなかったですが、今回はちゃんと頂いておいてよかった。


まずは、「印象派」の名前の由来にもなったモネさんの「日傘の女性(右向き)」

えーっと、そう、これこれ。

めちゃくちゃ綺麗でした。この絵は人物画ではなく、風景画である、なんて言われたりするのは、まず顔がはっきりと描かれていないこと。あと光の加減や空気感などその空間のその瞬間の様子を色彩で表現しようとする印象派の最大の特徴が存分に表現されていることです。実物を見ると、ピンク色が多く使われていることがとても印象的です。空気を桃色で表すのは積み藁の連作でもよく使われたモネらしさの一つでもあります。

この作品はとても有名ですけど、実は、似た作品があるんですよ。睡蓮やポプラやルーアンの連作ほどではないですが、左の絵は女性は右向いてますが、左向きもあります。えーっと、左向き、左向き、そうそう、これこれ。





これとか。



























さらにこんなのもあります。上の二つは両方とも1886年に描かれていて、オルセー美術館にあります。だけど下の絵は、その10年前くらいに描かれたもので、モデルも別人です。ロンドンのロンドンナショナルギャラリーにあります。





























なので、「日傘の女性」というと、連作のイメージはないですが、実は似た作品もあったりするのです。(タメになったねぇ~w)


えーっと、このペースで語っていると、何時まで経っても終わらないので、今回はモネ編。他にもロンドン国会議事堂とかもいろいろあるんですが、1アーティスト、1作品にしないと自分の首を締めるので、これくらいにします。次回は、えーっと、誰にしよう。おそらく、Degasの「階段を上がる踊り子」で。

288

楽しむこと!を本気で忘れていました。
恐ろしいですな






そういえば、先日オルセー展に行った感想を書こうと思って忘れてた。
そういえば、今日今日number0のインストアライブに行った感想を書こうと思うの忘れてた。
総入れ歯、土曜にのらりが入ってるの忘れてた。でも思い出したから、セフセフ。

家具ほしい人募集。

全て無料。欲しい方連絡ください。詳しい話は、shyshd@gmail.comまで。

・貝殻のシャンデリア
・テーブル
・ハンガーかけ
・ソファ
・棚





















twitter/android/ustreamの話

アンドロイド携帯でたまにユースト配信したりするんだー。

でさ、専用アプリを立ち上げて、さぁいざ配信。

でねデフォルトでそうなんだけど、放送の開始をツイッター上に自動でつぶやくようにしているわけ。

僕のフォロワーさんに放送が始まったことをまぁ告知するわけだ。

でね、そのつぶやき内容がね。

Hey! Im broadcasting from my android phone! come watch!

みたいな感じなのよ。たしかね。そして悲しいことに、この自動お知らせ機能の文面は編集できないのね。アプリのセッティングのyou tweet when you start broadcastingみたいなのをチェックを入れておくと、まぁ自動でさっきの文章が僕のtwitterアカウントからつぶやかれるわけですよ。url付きで。
まぁアプリ自体が英語仕様になってるから仕方が無いんだけどさ。俺のテンションと文面が全くあわないのよね。まずいきなり「ヘイ!」とか言っちゃってるでしょ。まず、僕は日常生活で「へい!」なんて言わないからね。「あぁ、、、」とかなら言うけど、「へい!」はないでしょう。あとあんなに文末の旅にエクスクラメーションマーク付けたような喋り方もしないしさ。まぁ Im broadcasting from my android phone ってところはまだ許す。エクスクラメーションマークは嫌だけど、言ってることはまぁ許す。で、最後にさ、come watch! って。なんていうかさ、文法的にどうとか、もうそういうこたぁ置いておいて、文章が全体的に非礼だよねぇ。そんな荒々しい放送じゃないんだよ。台風中継じゃないんだから。

あのー…、放送してます。よかったらどぞどぞ。

くらいのテンションなのよ。こっちは。でもあの英語の文章だとさ、

おい!オマエら!放送中ダゼ!絶対見ろよな!

くらいの勢いがあるでしょうよ。もうアメリカ人のこのガサツさに付いていけないのよねー。。。

ポタポタン。

みんな何で体洗ってるかな。僕は形状はタオルのような長い長方形で、目は粗いゴシゴシ系です。体洗ったあとは、それを風呂場の壁にデフォで備え付けられてる手すりみたいなのにピンと伸ばして干すというか掛けてあるんだ。全身を洗って、浴槽に浸かっているとさ、すごいシーンとしてるじゃない。だって夜だし?一人暮らしだし住宅地だし?まぁ、すごい静かな静寂が訪れるのだけどさ、その静寂を打ち破ると言うか、逆に静寂が1段階増すような気にさえさせるのが、さっきのタオルみたいなアレから滴る水滴なわけ。

ポタン。ポタン。ポタポタン。ポタン。ポタン。ポタポタタン。ポタン。ポタン。ポトポポタン。ポタン。ポポタン。ポタン。ポタン。ポストモダン。ポタン。ポタン。ポタソ。ポタソタン。ポタン。


絶妙に一定じゃ無かったりするのだよね。ちょうど一定じゃ無いというか、たまにある不規則なポタポタンみたいなのにワクワクしながら耳を済ませるわけだ。もちろんお湯に浸かりながらだよ。で、「次あたりイレギュラーポタンが来る!」とか頭の中で予想したりしているのだ。で、「アレ、もうちょっと先だったかー、あちゃー」とか思いながら、ひたすら耳を済ませるわけ。しばらくそうするとさ、ある時、ふと気づくことがあるんだ。みんなも感じたことあるとおもうんだけど、わかるかな、「あ、のぼせたな」っていうやつ。オマエらもきーつけや。

MAX

すごくいい。




14年前


DVDの話。

DVDでウルトラミラクルラブストーリーを見た。

・序盤から津軽弁が聞き取れず、日本語字幕を入れる。
・ラブストーリーというには余りにも流行りの「ラブストーリー」とはかけ離れているのだが、
陽人のあのどストレートな愛情表現は新しいのか、古いのかわからないが、ある意味で直球勝負のソレである。
・ラストシーンは驚いたけど、あの「咀嚼のシーン」によって全体が少し解釈できるようになった気がする。
・他にも結構「えー・・・」っていうシーンはあるんだけど、とある超人類を描いた作品なのだ、と納得することにした。
・個人的には、要と陽人のカラミが好きでした。

ではこれから「ひぐらしのなく頃に 誓 劇場版」見ます。

ボストン美術館展(後半)

先日の投稿で、ボストン美術館展に行った話をしたのでその続き。
まだ見てない人は先にこちらを→ボストン美術館展(前半)

ちなみに、この話は美術嫌いには全くと言っていいほどつまらないものになっておりま
すので、その点だけご了承ください。

えーっと、前半は、肖像画だとか宗教画だとか多くて19世紀以降が好きな僕には
とても退屈な内容だったが、ここからガラリとテンションは上がっていく。いや、
正確には、不満は浄化されむしろ穏やかになっていくと言ったほうがいい。

前回書いた、ミレーの作品のあたりから僕の歩を緩めることになる。

まずドガの馬関連の作品でとても気になった一つ。
Edgar Degas. Carriage at the Races. 1869. Oil on canvas. The Museum of Fine Arts, Boston

ドガは上流階級のボンボンである。じゃなきゃ、競馬場にもバレエにもバーにも行かない。そんなドガが書いたこの作品の気になるところは、まずこの作品が彼が1874年の「第一回印象派展」※1に出した作品である。僕の家に来たことがある人は、僕の家の東側にモネの「impression, sunrise」のポスターが貼ってあることを目にした人もいるかもしれないが、あの作品も1874の第一回印象派展に出された作品である。

話/戻

ドガの“Carriage at the Races”には「田舎の競馬場にて」という邦題が付いている。これちょっとおかしくないか。
【at the rural races】ならその邦題もわかるけども。おかげで、この作品の題材が、競馬場なのか馬車なのかわからなくなる。こういうことがあるから嫌なんだよなー。※2ドガがタイトルにcarriageという単語を使ってるところからも、主役は馬車であり、そしてその馬車に乗る家族である。犬がいて、乳飲み子がいる、上流階級の家族である。だが、この絵のとおり、題材を中央に置かないキャンバスの使い方、全体像を入れないキャンバスの辺の使い方、これはまさにドガらしい。ドガは印象派の画家の中でもアトリエで作品を作るタイプである。だからなのかわからないが、印象派の特徴である短いストロークの筆さばきは比較的少ない。この作品もそうだろう。以前もどこかで言ったような気もするが、個人的に思うドガの絵の面白さはアングルと構図である。

続いて、モネの絵、10作品。

ここは本当に面白かった。有名な積み藁、ルーアン大聖堂、蓮池の連作からも1つずつ展示されていた。
モネの素晴らしさはなんと言ってもその光と色彩である。一目でわかる季節感、空気感、温度、時間帯。
第一回印象派展では「これを完成形とは認めない」とまで酷評された印象派であるが、それが現代にいたってはにここまで脚光を浴びるようになったのか。それは僕が印象派が好きな理由ともリンクする。

それはただそれまでの写実的に写し取るだけの作業から、
観る者に語りかけるような描写へと変わっていった
彼らの表現がなんとも心地よいのである。
田舎のランドスケープが多いこともまた僕の心を休ませ、ノスタルジックにさせるのかもしれない。

この後、セザンヌやゴーギャン、ピサロ、クールベ、またイギリスのコンスタブルなどの風景画が続く。
だがなんだか頭が疲れたので、それらについて語るのはもう諦めることにする。
ゴッホのオーヴェールの家は素晴らしかった。筆さばきのリズム感も質感も色彩も。
ピサロの淡い色彩も。

あれ、クールベって写実主義じゃんって?うるせー、いいんだよいいんだよ。
クールベは写実の人だけど、オルセーの2作品、あのちょーでかいやつ。あの2作品で田舎の小学校の体育館の床面積くらいあるんじゃないかってやつ。あれを見て僕は死んだのだ。埋葬されたのだ。だからいいの。
コンスタブルも別に印象派じゃないけど、風景画がきれいだよね。ターナーもコンスタブルも見た目からして全然印象派じゃないけど、あのへんは、なんだか僕を田舎に帰してくれるので好きなのだ。あー疲れた。




※1 第一回印象派展と記述したが、当初この展覧会には「印象派」などという言葉は付いていなかった。モネ、ルノワール、シスレー、ドガ等が「印象派」と呼ばれるようになった理由と関係してくるのだがその理由は諸説あるので知りたい人は調べると良い。

※2 ドガはフランス人だから、きっと元々のタイトルはフランス語だったんじゃないのか。carriageって英語じゃないか。そしたらあーだこーだというお叱りはそのとおりでございます。反論の余地なし。しょぼーん。

ボストン美術館展(前半)

松岡美術館に行こうと思って、自転車で恵比寿まで行った。

着いたら、【本日は閉館しました】って出てた。
展覧会は17時まで。その時、16時59分。

まだ1分あるじゃん!って思ったら(入館は16時30分まで)って書いてあって、ショボーン。
まぁ一分あって何ができるって話だけどね。

それでしょうがないので、恵比寿→広尾→六本木と来て、
森ビルでやってるボストン美術館展に来た。
途中広尾のあたりで警察官が30人くらい見た。何かあったのかな。


ボストン美術館と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、
やはり【Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?】だろう。

あと、個人的には、【ラ・ジャポネーズ】もいつか生で見たい作品。
2007年のモネ展にも来なかったしね。

まぁ、そんなこんなでボストン美術館展ですが。
何故か音声ガイドをもらわないと、
作品一覧表みたいなのをもらえなかったみたいで、
曖昧な記憶で振り返ることにする。

まず最初は肖像画のコーナーだったかな。
どれも近代以前の作品だったが、マネのムーランの肖像画が一際異彩を放っていた。
平坦な彩色に最小限の陰影。キャンバスのサイズも50×50くらいだろうか。
マネの肖像画というと、モリゾが有名だが、その約10年くらい前の作品。
モリゾの作品とは逆に白い服に黒い背景だった。スペインの影響がまだ多分に表現されている。

あと、ドガの作品でおそらく知人の夫妻の肖像画があった。

※ドガは印象派の画家として有名であるが、
印象派とされる画家の中で最も人物画(それは言葉通りの"人物画゛だけではなく風景の中に自然に人物が含まれている場合も含む)を描いている人だと思う。ダンサーの連作や、馬の連作、初期にはもちろん肖像画も多数描いている。

この肖像画を見て思ったのは、なんて自然な表情なのだろう、ということだった。
肖像画というと、どうしても口は真一文字に閉じられるか、もしくはその逆で、google image
で【笑顔】を検索した時に一番に出てくるような笑顔か、そういうのが多い。もちろん近代以前は前者が圧倒的だ。

だがこの夫妻の絵はどこまでナチュラルである。
よく写真を撮る際に、まだ撮られる側がまだ撮られると思っていなくて、表情を作ることもせず、ポカーンとした所謂「素」の状態を撮られることがあるかと思うが、まさにあれである。言ってしまえば、旦那の方は口は半開きで、嫁もどことなく不安げな表情。彼女はどこか、きっとまだ世界に「写真に撮られると魂を抜かれてしまう」という言説が蔓延っていた時代に、夫が言うからしょうがなく一緒にフレームに入っているだけで、本当は嫌なんです、とでも言いたげな顔だ。この日常の切り抜き間が印象派が印象派と呼ばれる所以でもあるのだが。。。

ミレーの作品もあった。【ルツとポアズ】と【馬鈴薯植え】くらいだったかな。農村の絵かきとして【晩鐘】、【落穂拾い】などで有名な彼である。農民の絵を書くというのは結構レアなのかな。田舎の風景がというのはよくあるけども。そう考えると16世紀のブリューゲルとかもあの時代にしたら例外中の例外だけど。。


※ミレーとだけ表記すると誤解を与えることがあるので、一応断っておくが、ミレーというのは、ジャン・フランソワ(バルビゾン派)の方で、ジョン・エヴァレット(ラファエル前派)の方ではないので、気をつけてください。英語で書けば区別できるのだけど、カタカナで書くとどちらも「ミレー」になっちゃうから。ここを混在している人結構いるよね。【落穂拾い】、【晩鐘】と【オフィーリア】、【カーペンターズ】を描いた人が同じではないですよwほぼ同じ時代に生まれるからややこしい。こう考えるとマネとモネもあぶなかったね。てかラファエル前派ってあまり日本に来ないね。ロンドンのテートモダンで見たロゼッティの作品とか是非また見てみたいけども。


というわけで話は戻ってって、、、あぁ、まだ半分位しか触れてないのに、もうこんな量になっている。
ブログの1投稿が長くなりすぎることに気をつけようと思っていたのに。全ては無駄な話の脱線のせいorz
じゃあ、後半は別投稿にしますかね。
ちなみに後半はモネ、シスレー、あとイギリスのランドスケープ画家コンスタブルとか、写実のクールベ、あとは後期印象派を少し。そんな感じかな。

時計の修理の話。

時計が壊れた。ただ壊れたと言っても、それはメカニック的な問題ではなくて、皮のベルトの部分が裂けてしまったのだ。これは衝撃的な力が瞬間的に働いたわけではなくて、長年の疲労によって避けてしまったものなのだ。なので、時計が壊れたら時計屋さんへ、という万人受けする発想で「新宿 時計 修理」でググって出てきたとある時計修理工房に出かけた。

新宿の某時計屋に着くと、僕はまず店内を一般客を装い、って僕は時計の修理をオーダーするというれっきとした一般客なのだがまるで時計を買いに来て物色中がごとく店内をぐるりとまわりながら、時計の革ベルトが一覧できる場所で立ち止まった。店員さんは3人。みんなレジを打ったり、なんなりと仕事をしているので、なんとなく声をかけづらい。僕はとりえあえず、革ベルト一覧を見て値段の相場が3000円~8000円くらいであることを確認して、もう一度店員に視線を合わせると、メガネのボウズの店員さんがお手すきになっている。

「すいません」
「はい」
「時計のベルトの修理をこちらでお願いできると聞いたのですが」

本当は誰かに聞いたのではなくネットで調べたのだが、そういう詳細はこの際問題ではない。

「あぁ、できますよ」

よかった。

「それで、この時計なんですけれども」

僕は安心してカバンの奥の方から時計を取り出して見せる。

「あ・・・これはちょっと」

店員の表情が曇る。ちょっと口ごもりながらも続けるのを僕は黙って聞いていたが、要するに僕の時計は手作りの時計なので、修理できないとのこと。ちょっと待って、手作りなのは認めるけど、手作りったって僕が作ったわけじゃなく、ちゃんと時計職人さんが作ったのだよ。それなのに、何故!!時計が時計であるための時計の時計たる部分、時計のアイデンティティの時刻を表示する部分が手作りなのであって、皮のベルトを交換するくらいはできるんじゃないの。僕はもう少し問い詰めると、皮のベルトの部分が独特のつけ方で、一般的な時計はこうは付けないと言うのであった。

「ん。え、そうなんですか・・・」

僕はもう一度革ベルト一覧にあるベルト群を見てみる。そして僕の時計のベルト部分を見てみる。そして比べてみる。たしかにここにある全てのベルトは僕の時計には全く合いそうにない。というかよく考えてみると、僕の時計の皮のベルトみたいなベルト部分を持つ腕時計は見たことない。
時計の文字盤部分はよく目にしてたけど、ベルトの部分ってそんなに注目してなかった。ただの革ベルトだと思ってた。

「じゃあ、これはここではもう修理できないんですよね」
「すいません」
「時計修理工房、なのに、できないんですよね」
「すいません」
「じゃあこういうのを修理をお願いできるところって無いですか。どこの時計屋さん言ってもだめですかね」
「そうですね、職人さんに直接お願いするとか…」

出た。職人に直接お願いするパターン。僕はこの「時計が壊れて直接職人に修理をお願いするパターン」に対してとてつもない嫌悪感を持っているのでそればかりはもうやりたくないのだが、時計屋さんが考えられる唯一の方法がそれだと言うので一般人はただただ従うしか無い。というわけで、僕はとりあえずこの時計を購入した店に行って職人さんに送ってもらって修理をお願いすることになった。なんだか、修理という名の目的地まで近くなったのか遠くなったのかよくわからないが、僕はとりあえずまた自転車に乗って、過去2回と合わせて今回で「3回目」の修理のお願いのために、またあの時計屋さんに赴くことになるのだが、それはまた次の機会に。

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マネとモダン・パリに行った。

印象に残ってることを箇条書きで。適当に。

・すごい混雑。
・かなり混雑。
・混雑すぎておねー様のパイオツがぶつかったりする。
・見ごたえは十分。
・「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」byマネ
・「夜会」byベロー
・「扇子を持つ女」byマネ
・なんか闘牛場の絵。タイトル忘れた。 by ネ
・エッチングやリトグラフなども結構あった。
・マネはやはり「黒」である。
・マネというと、やはりOlympiaとlunch on the grassが有名だけど、そこら辺の話は映像のコーナーで紹介されてる。技法のolympiaと、意味のlunch on the grass。
・「笛を吹く少年」があるかと思ったのだが、そこは残念。僕はあれが実は結構好きなのだ。
・モネとマダン・パリ

マネの素晴らしいところは、まずサロンへのこだわり。74年の第一回印象派展が開催されてからも、サロンで評価されることに絶対のこだわりを持っていた。それなのにもかかわらず、敢えて批判を受けるように意図されたとも言える作品群は孤独の中にも絶対的な自信が見て取れる。印象派のような、短いブラシのストロークや、光の使い方もあるのだが、絶対的な黒の使い方はやはりマネの作品をマネの作品たらしめる部分であると思う。白い洋服のバックの黒い背景。そういう絵が多い。よく考えれば、オランピアの草上の昼食も裸婦は白いきれいな肌だが、後ろは黒っぽい背景で、女性の部分がやたらと際立つ。オランピアには黒猫まで描かれている。印象派の画家は基本的に黒は使わないのだ。

さらに視点、焦点という点では、自分の目の焦点の部分は割と詳細に描かれている。タッチもこまかい。しかしマージナルの部分はいい意味で大雑把に表現されている。多分、実際に人の目もそう見えているのだろう。闘牛場の絵を見てそんなことも感じた。

また、印象派の先輩としての見方も十分に可能だ。オプティカルミクスチャーの先駆者としての斑点技法にはじまり、平面的な彩色。さらに、「エミール・ゾラの肖像」では背景にしっかりと浮世絵の作品を描いている。背景に浮世絵を描く、という点ではゴッホのタンギー爺さんとかの方がおそらく有名だけども。そういうジャポニズム的な意味合いも強い。モネとかも「ラ・ジャポネーズ」で嫁に着物を着せたりしてるしね。今でいうコスプレ的な趣味があったのかな。ってどうでもいいけど。


ちなみに「扇子を持つ女」とベローの「夜会」は見ていて気持ちが悪くなった2作品。気持ちが悪くなろうが、どうなろうが、作品の持つ力という意味では素晴らしかった。

次は、文化村か、新美術館か、ブリジストンか。。。

マネとモダン玉子焼き。

昨日は、一日でいろいろ行ったよね。楽しかったかい?そうか、そいつは嬉しいなぁ。

まず、朝起きて、他人の携帯電話が部屋にゴロンと落ちてたね。

あぁ、これはM谷さん忘れてったなぁ、と思ったよ。で、その時、11時50分。13時に東京駅に行かなくてはならない。

どうしようか、悩んで、僕は自転車に乗って、M谷さんの家まで行ったよね。水谷さんは、もう余命僅かなおじいちゃんみたいな形相で「ありがと・・・・う」って。辞世の句だったのかな。そう、M谷さんの家までは向かい風がすごくてさ。もう漕いでも恋でも鯉でも故意でも全然進まないの。でもさ、帰りは追い風だから頑張ろうって恋してたの。そうしたら、何故か帰りも向かい風なの。どうして、どうして恋はいつも向かい風なの!!って思ったけど、とりあえず、東京駅っていうかOAZOに13時に向かわなきゃいけない。で、12時58分、大手町着。よし、なんとか許容範囲!!

それから丸の内のブリックスクエアでランチ → 三菱一号館美術館(コレについては別投稿で) → art award tokyo marunouchi

とまぁ、丸の内っていうオシャレな場所を闊歩してしてたのだけど、丸の内のあの「丸の内感」がどうも好きになれない。みんな「ここは丸の内。ドレスコードはシックなオシャレ。女性はピンヒール、男性は革靴を履くことが条例で決まっているのよ。」なんていう顔で歩いているでしょう。もう、そこらへんの植えられている街路樹も、綺麗だけど、すごい綺麗だけど、もう悲しそうなの。あの植えられてる感がどうしようもなく不自然でさぁ。

そういえば、東京駅と丸ビルの間に、ガトーショコラが落ちていたけど、よく見ると、地下への入り口だった。

それから、東京駅から四谷、四谷から吉祥寺とまぁ西へ西へと、進んで行って、スコーン食ったり、箸屋に行ったりして、結局落ち着いたのは夜9時。場所はここ。
吉祥寺小料理屋 魚魚亭 遊路のブログ

遊路と書いて、ゆうじと読むのだけど。

ここ、スゴイ良かったね。小料理屋なんだけどさ。ビール飲みながらちびちびやるわけよ。小料理屋っていう響きがなんか大人になった気がするよね。お酒覚えたてじゃなかなか入れないでしょ。親父とかについて行くことはあっても、自分ではなかなかいかないよ。でさ、まぁ値段もそれなりだけど、でもどれも美味しいもの。やっぱり美味しいもの。こういう小料理屋って。店名に小料理屋とかつけちゃうってことは、もう料理がウマイのは当然だけど、気になったは、

ホタルイカのてんぷらがたしか780円くらいだったっけ。

ナスの揚げ出しが、、まぁ忘れたけど700円くらいかな。

で、

たまご焼き、900円。この値段設定。価格破壊。インフレたまご屋き。玉子焼き界の風雲児。逆ユニクロ状態。逆にオーダーしちゃうよね、この値段で出されると。だってたまご焼きだもの。たまご焼き、たまご焼き。やきそばとかやきおにぎりとか焼肉とかやきとりとかあるけど、たまごやきだけ、◯◯焼きだもの。だからどうした。


で、まぁ帰ってきたのだけど、T田君は帰り道、まさかの終電なくして、高円寺から徒歩で帰宅だったらしいです!お疲れ!

ネットとかの話。

Twitter、ようつべ、ニコニコ、Ust、RSS、mixi、etc...
全てのある程度の長さの時間を潰すのには、全ての役者が揃った感じ。それもスマートフォンの進化のおかげで消化するのに場所を選ばない上、シンプルにアクセス可能で、一つのアクションが短い時間で完了するエンターテイメントが増えてきたせいなのか、小説、映画(DVD等)、音楽アルバムを一つの作品として通して聞く、などの完結まである程度の時間の拘束を前提とされるものに、上げる腰が重くなっている。これは結構怖いことである。

音楽の聞き方に関しては個人的には自転車に乗っている時と、PCをつけて何かしている時の2パターンに、全てでは無いにしろ、ほとんどが占められている。自転車に乗る時は、その身体性も相成って、ノリノリでyeah!!!!!!!!!!!!!!!!とか騒ぎたくなる曲も聞くが、家では必然的にアンビエント的な聞き方というか、そういう類のものを聞く。

それと最近、個人的にはさほどログインもしないfacebookだが、いろいろなwebサービスに首を突っ込んできている。悲しいのがソレが外国産であるということ。facebookの例の素晴らしくも怖いのがいろいろなサービスがリンクしていくこと。便利は便利だが、web上のどんな場所においても一律なスタンスを要求されてきている。ネットのアナーキーさが無くなっていくような気がしてならない。

あと、あと、adobeとappleが面白いほど犬猿の仲になってきた。

本の話

ヒサビサに本の話。

1Q84のBook3を読み終えた。

相変わらず登場人物はみんな天才でウィットに富まない奴は死刑みたいな世界だった。
誰もが一言多くて、その相手の最後の一言を読むことを履歴書の特技欄に記載できるような奴らばかり。

ストーリーはわかり易かった。ただそのストーリーをどういう風に表現するのかをわくわくして待つのが楽しい。

「時間・直線」の件が個人的には印象的。

あと、今日買った本が3冊。珍しく3冊とも海外作品。

ニコルソン・ベイカー著 (訳:岸本佐知子) 「中二階」 白水Uブックス
スチュアート・ダイベック著 (訳:柴田元幸) 「シカゴ育ち」白水Uブックス
アラスター・グレイ著 (訳:高橋和久) 「哀れなるものたち」 早川書房

フリーザの話。

昨夜、いつものbarで飲んでいたんだけど、
隣に座っていたご夫婦(話すのは3回目くらい)と話が盛り上がって、気づいたら朝方までいた。

その御夫婦はbarのすぐ近所に住んでいて、とあるコンビニの店長をやっているのだ。

「ねぇ、ドラゴンボール好き?」とそのご夫婦は言う。
僕は好きだと答える。
「じゃあ、フィギュアとかも好き?」と婦人はさらに訪ねる。
僕は、フィギュアはを集める趣味はない事を少し濁して伝える。

すると婦人がなんやら悲しそうな顔をしたので、

「いや、フィギュアとかも好きです!」と言うと、
「じゃあ、コンビニのおまけとかクジとかであまったフィギュアを今から持ってくるから、もらってね」
そう言って店を後にすると、5分後に、1泊2日の旅行あたりに最適なサイズのカバンを肩からぶら下げて帰ってきて、僕にいうには、鞄ごとくれるということ。なかにはドラゴンボールのフィギュア(婦人は知らないみたいなのだが、見てみるとフリーザだった)と、サントリーのボスのおまけについていたミニカーと、マグカップなどが入っていた。

「これ、本当に鞄ごともらっていいんですか?」
「いいのよ、そのカバンだって雑誌の付録で付いてきたものだから」

たしかに、よく見るとカバンには原宿あたりで数年前は大流行していた(今はどうだか知らないが)ような気がするブランド名が安っぽく記されている。

「ありがとうございます!帰って飾ります!!うわー、すげー!」


で、朝である。

昨日はきちんと全部確認していなかったので、カバンから全部とりあえず出してみたところ、

ミニカー:16個
フリーザ第一形態:1個
フリーザ第二形態:1個
フリーザ第四形態:1個
カプセルコーポレーションロゴ入りマグカップ1個
ピングーペアマグカップ:1セット

何故、第三形態だけ無いのか、一番人気無さそうなのに売れてしまったのか、それか元々人気がないから製造過程で省かれたのか、生産数が少ないのか、それは定かではないが、とりあえず無いものはしょうがない。













で、並べてみた。






わーーわーーーわーーーわーーーわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すげーーーーーーーーーー
フィギュアとか並べる久しぶりーーーーーーーーーーー
すげーーーーーーーーーーーーー
すげーーじゃまくせーーーーーーーーーーーーーー


今後、こいつらをどう処分するかは追って検討することにします。

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ブログの雰囲気を変えてみまみた。

memo:美術館情報

・三菱一号館美術館      4/6-7/25 「マネとモダン・パリ」        

・国立新美術館 5/26-8/16  「オルセー美術館展2010 ポスト印象派」

・bunkamura 5/18-7/11 「ストラスブール美術館所蔵 語りかける風景 コロー、モネ、シスレーからピカソまで」

・森アーツセンターギャラリー 4/17-6/20 「ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち」

・ブリジストン美術館 4/20-6/25  「印象派はお好きですか?」

・松岡美術館 4/25-9/25 「モネ・ルノワールと印象派・新印象派展」

・損保ジャパン東郷青児美術館 4/17-7/4 「モーリス・ユトリロ展」

・横浜美術館 7/2-9/4 「ポーラ美術館コレクション展」

・横浜美術館 9/18-12/31 「ドガ展」

・そごう美術館 4/8-5/16 「ピカソと20世紀の巨匠たち」

僕とクワナとフジイ。(およそ1年前)

miyauchi yuriさんが、こんな企画をやっている。
ライブも2,3回しか見たこと無いけど、ちょっと送ってみたい音源がある。
それがコレ。



これはnumber0というバンドのドラムを担当している友人のいびき(これがものすごい音圧)を肴にして、もう一人の友人と二人(これがものすごい酔っぱらい)で雑談していた時の音源である。一応編集してあって、本当は20分くらい喋ってる。ただ二人で喋ってる。で、後ろに、ズーズゴーって聞こえるのが、まぁいびきであるわけよ。

これを3分位に編集して、というか一部分だけ切り取って送ってみようかと。
いびきは基本的にループだから、使えないこともないかとw
よーし。そうとなったら、やってみるべし。

僕の友達(のバンド)を紹介します。




学部で出会って、またうるとらカフェのバイト仲間としてもうかれこれ6年の付き合いになる友人の藤井くんがドラムを努めるnumber0のニューアルバムchromaがリリースされた。

どこぞの国のIT企業が出してるブラウザーみたいな名前だが、決してそれにあやかって「ちょろま」なんて読み方をしたら、Macbookでビンタされますので気をつけてください。chromaと書いてクロマと読みます。

このバンドのライブを始めて見たのはいつだったかは覚えていませんがきっと2004年のいつか。
記録として残ってるのは、音楽ファイルのプロパティから05年1月にもらったとされる音源(なんとこの中には当時のin the Wombもあるのだ。)があるので、まぁここらへんから考えてみても少なくとも5年は見たり聞いたりしてきたバンドである。

ライブとなるともう何度行ったかはわからないし、曲も何度聴いたかはわからない。
毎週更新されるLabs。オフィシャルHP上での藤井君のポエム。3人御そろいのパステルカラーのTシャツなんて今ではもう「懐かしい」と言ってしまっていいだろう。

(※ちなみに調べて見たところ、僕のitunesに入ってるnumber0の曲の中で最も再生されていたのは、RoundRoundでもwellhomeでもなかった。Labs.2.3であった。以前一度根こそぎ初期化したことがあったけど、それにしてもnumber0再生回数1位がLabs.2.3て。とても愉快だ。)

そんな思い出溢れるnumber0の待望の1stアルバムとなっては感慨深いものがある。
つまるところ、大学生活の音楽はnumber0であったと言っていいくらいである。
僕が今エレクトロニカの音楽に興味を持つようになったのも、強いてはそこまで音楽に興味の無かった僕の音楽ファイルが70Gにもなったのも、全てはこのバンドのせいと言っても過言ではない。
感謝の気持ちを送る代わりに、ハードディスク代を請求したいくらいである。

今そのchromaを聞きながらこの文章を書いている。深夜に聞くには残酷なくらい心に響くものである。このアルバムが出たのがこの季節でよかった。

曲がin the Wombに変わる。
最後の曲である。
そういえば、以前藤井君はライブの最後の曲の前にいつもこう言っていた。なのでその言葉でこの投稿を閉めることにする。

それではおやすみなさい。





















追記

下記の文章が、2005年10月29日にmixiでnumber0のライブについて書いたソレである。何もいじらず、原文のまま載せることは少々恥ずかしくもあるが、ここに後悔、いや、公開することにする。
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昨日はnumber0のライブに行った。

昨日はすごいヒトの量だった。
number0目当てで来た客。50人くらいいたんじゃないかな。
行った事があるヒトはわかると思うけど、渋谷KABUTOってそんなでかい箱じゃないのでもうエレベータから中に入ったら瞬間からパンパンで、入り口でドリンクチケットを受け取るまでに一苦労、ドリンクを受け取るので二苦労。もうめっちゃ並んでんのな。その列の僕の前にa person from another countryがいて、ちょっと話しかけてみた。number0の2EP、Round Roundを聞いて「こいつらチョーcooooooooooool」って思ったらしい。「今日Round Round やるかなぁ?」「僕もそれ好きよ、好きよ。聴ければいいね」「僕、今回が初めてなの。ライブ。」「まじで?僕はもう何回来てるかわからないですぅ」「あhっはっは、それじゃあもうグループのメンバーみたいだね」とか話した。

とかなんとか話していると一つ前のバンドが終わり、ついにnumber0の番。でも目の前にはすごいヒトの量。その人の波に浚われそうで一ミリも動けなかったのは華原朋美ですが、僕はなんとか最前列の右端を確保することに成功。あーなんだこのヒトの量。すげーな。

隣になっちゃんがいたので聞いてみた。

「今日、人が多いね」
「シガーさんが30人くらい呼んだらしいよ」

それでか。まぁなんだかね。こんなにたくさんの人がいると、すごい嬉しい気分になりますね。僕が言うのもあれですが。最近のnumber0のライブは後方からプロジェクターで映像をステージにあてるため、センターにいるお客さんは座りなんです。
オシリ地面にぺターンって。なのでさらにギュウギュウ詰めな感じがでるんですよね。それでみんなが体育座りをしてステージに集中する。すごい。この一体感はなんだろう。

ステージ上ではいつもの準備が慌しく行われている。ここで気づいた。「あれ?衣装が違う」いつもならカラフルな同じ柄のTシャツを着ているはずなのに、みんな黒づくめ。藤井君はまだ怪しいトレンチを身にまとっているからよくわからないけど、きっとあの中も黒尽くめなんだろう。

それで、

ライブ開始。

今回のライブはたしか、

・moona
・ショコラタイトル
・in The Womb
そして新曲
・.Dr.Insomnia


だった気がする。まぁ違ったら彼が訂正してくれるはず。

最近のライブの変化として
・プロジェクターを使うためお客さんがみんな座って聴く。
・MCがない
・ボイスチェンジャーを通した声またはデジタルな音で「コンバンハナンバーゼロデス」とか、「ソレデハオヤスミナサイ」とか言う。
みたいなところがある。個人的には
・さらにエレクトロニックの色が強くなったきがする。
・さらにシガーさんの歌詞は聞き取れない。笑

それで今回のライブの個人的なイメージはモノトーンの世界。
白と黒。騒と静。そんな感じ。こういうと語弊を生むかもしれないが、今までのライブは音だけに囲まれる世界。時折、目を瞑ってしまいたくなるような。
でも今は映像と音。ステージに当たるプロジェクターの光がライブを音だけを聴く世界から一つのエンターテイメントを楽しむ世界へと連れて行ってくれるような感覚。

さらにアレンジの具合が日に日に増しているような気がする。それもどんどん音の厚みが増しているように感じる。もうCDで聴くものとライブで聴くものでは全く異質なもののように感じる。同じ曲でもライブによって変わる。それが今回はどんな風に変わるんだろうという期待感を持たせてくれる。

僕は一番右の前に座っていた。位置的にはシガーさんの近く。横にでかいスピーカーがあった。その前に灰皿を置いていたのだが、スピーカーから来る音の波によって床に灰皿が落とされた。スピーカーを触ってみた。すんげー揺れてる。これは落ちるわ。というかスピーカー壊れないかな。って心配になるぐらい揺れてる。

僕は灰皿から落ちたタバコの吸殻を集めようと思ったが、今はステージに集中しようと思ってやめた。ステージへの集中が僕をそうさせることから妨げたのかもしれない。

最後の曲。新曲だった。COFFEEというタイトルらしい。
それを知って僕にまっさきに出てきたのは映画「coffee  & cigarette」のモノクロの世界だった。

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*追加(訂正)

新曲のタイトル。ちょっと違うみたいです。F井の彼女がcoffeeって言ってたんだけど。F井本人が違うと言っていたので。ただ歌詞にcoffeeっていう単語が出てくるのだけようです。


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266

広末涼子 「だめ」50連発



みやざきあおいのひらやまほどの~なんて足物にも及びませんよ、えぇ。

265

uzna omom cafe に行って来た。


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原宿キャットストリート沿いにある看板。コレだけ。
気を抜いてたら完全に見逃す。
入り口は通りに対して裏側。このわかりづらさが素晴らしい。






















普通のアパートの一室をカフェにしている感じ。渋谷のアンテナカフェほど凝ってはないが、まぁイメージはあんなかんじ。つくりはシンプル。だが晴れた日であれば是非テラス席(一つしかない)を使って欲しい。眺めもよいしとても気持ちよいのだ。そういえばここのコーヒーにエチオピアのイルガチェフがあった。ほりぐち・・・かな?



ちなみにそのテラス席からは原宿キャットストリートを見下ろせる。























その後、全日本フットサル選手権を見に、彼女とそねさんと代々木体育館へ。
とりあえず、ゴールシーンが見れたのでよかった。点数はいらない試合だとどうしても見に来たかいがない、とか思ってしまうからね。
気になったのは写真撮影、ビデオ撮影禁止っていう。twitterで写真うpしてた人とかいたけども。

その後、もぐら食堂でパーチー。
で、2次会は久々まるはち。



















みなさんおつかれさん。

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昨日ランチを食べに、東長崎にある「Restaurant C'EST BIEN」に行って来た。


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イタリアンもフレンチも食べられるという洋食レストラン。上の地図を見ると「松屋かよっ」って思う方もいらっしゃるかと思いますが、松屋の裏にあります。松屋じゃないですよ。でもまぁ松屋が目印です。

店内は若干昼のピークは過ぎたようで、お客さんは5割程度。近所の主婦仲間か一人客が大半を占めているので僕らみたいな若い男二人の客というのは珍しいように思えた。30席ほどの店内はシンプルで綺麗。テーブル同士もある程度離れていて、落ち着ける。客席から見えるキッチンは使い込まれた「道具」達で溢れていて職人気質がうかがえる。

僕のオーダーは200gの牛ロースステーキでソースはデミグラス系だったのだが、パン、サラダ、スープ、メイン、コーヒーと付いていてボリュームもたっぷりで1800円ほど。パンが一部か全部かわからないが外注だったのが少し悲しいのだが、添えてあるバターが美味しかった。普通のバターより色が白っぽく塩気が強い。とてもうまい。世の中のパンに塗るバターは全部あれにすべきだと思った。

サラダはバルサミコと塩とワインビネガーあたりのシンプルなドレッシングで美味しい。好みの味であるし、これから来るメインのステーキがヘビーなのでその前にはやはりこういうさっぱりとした味がベストである。スープはブロッコリーのスープ。クリーミーなスープでオリーブオイルを表面に垂らしてある。
食べた瞬間、「あれブロッコリーだよな?」と思ったのはなんだったのだろう。
豆やじゃがいもなんかも入ってそうな感じがした。
だがそれは決して悪い意味でなくとても美味しい。もちろんパンにつけてもおk。

メインは美味しかった。普通に美味しかった。しかし少し辛辣な表現をすれば「こんなものだろう」とも思った。ただ少し驚いたのは一緒に行ったバイト先の店長がオーダーしたメインの「魚」を一口もらったのだがそっちの方が美味しいと感じた。

そこで気づいたのだが、やはり僕個人における「肉」と「魚」の経験地に絶対的な差があるのだと思う。
美味しい肉料理と美味しい魚料理、のどちらを今まで食べてきたかと問われれば圧倒的に肉料理が多いような気がする。
先日行った「スタミナ苑」なんてまさにソレである。だから相対的に魚料理に対しては無意識にハードルが低い。(寿司や刺身に関しては今は考慮に入れない。)だから、どうしても魚料理の方がうまいと感じてしまう気がする。これはちょっと新しい感覚だった。

でも印象としては、また行ってみたいと思っている。
次は魚メインにしよう。パスタも食べてみたい、そう思わせてくれる店というものはやはりいいものだ。
もう二度と来たくない、そう思う店にも今まで数度行ったことがあるが、やはりこの類の感情が飲食店においてはかなり重要な点であると、あらためて思った。







僕にとって記憶に残る料理というものは、圧倒的に「うまい」と感じるものか、ギャップによって「うまい」と感じるものの2パターンある。数万円出して食ったものはやはり最初から「美味いものを食う」というスタンスで向かうものだ。だから当然ハードルが上がる。店のほうは「これから面白い事言いますよ」と言ってからすべらない話を披露するようなものである。だからもちろん美味しいし記憶にも残る。だが・・・というのもやはり否めない。(もちろんその中でも確実に創造を超える旨いものも存在する。(六本木のひのきざかや足立区のスタミナ苑なんかがソレだ。)

でも大半の「うまっ!」って思うもの条件にはやはり「コストとの差」という要素もあるように思う。その場で決めたふと入った店がうまいというのはとても嬉しいし、驚くし、うまい度も強まる傾向がある。過去の経験から例をあげれば、渋谷 おまかせ亭(洋食)渋谷 アナトリア(トルコ料理)板橋 磯一(小料理屋)恵比寿 uraebisu.(カフェ)などがそれにあたる。

そしてやはり人にも薦めるし、もういちど行きたいと思うものだ。一食で何万円もするような店は今の僕ではどうしても人に紹介しずらいし、この不景気な世の中では、後者のギャップによる印象力を持つ店が、生き残っていくようなそんな気さえしてしまった。


あと、今回バイト先の店長に薦められて連れて行ってもらったのだが、こういうなんとなく考えていたことを文字に起こすきっかかけをくれたという意味でも大変感謝である。

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早稲田にあるバイト先のカフェがtwitterを始めた模様。

cafe qune @cafequne

norari:kurari @at_norarikurari

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化物語14話のあのシーン