ボストン美術館展(前半)

松岡美術館に行こうと思って、自転車で恵比寿まで行った。

着いたら、【本日は閉館しました】って出てた。
展覧会は17時まで。その時、16時59分。

まだ1分あるじゃん!って思ったら(入館は16時30分まで)って書いてあって、ショボーン。
まぁ一分あって何ができるって話だけどね。

それでしょうがないので、恵比寿→広尾→六本木と来て、
森ビルでやってるボストン美術館展に来た。
途中広尾のあたりで警察官が30人くらい見た。何かあったのかな。


ボストン美術館と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、
やはり【Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?】だろう。

あと、個人的には、【ラ・ジャポネーズ】もいつか生で見たい作品。
2007年のモネ展にも来なかったしね。

まぁ、そんなこんなでボストン美術館展ですが。
何故か音声ガイドをもらわないと、
作品一覧表みたいなのをもらえなかったみたいで、
曖昧な記憶で振り返ることにする。

まず最初は肖像画のコーナーだったかな。
どれも近代以前の作品だったが、マネのムーランの肖像画が一際異彩を放っていた。
平坦な彩色に最小限の陰影。キャンバスのサイズも50×50くらいだろうか。
マネの肖像画というと、モリゾが有名だが、その約10年くらい前の作品。
モリゾの作品とは逆に白い服に黒い背景だった。スペインの影響がまだ多分に表現されている。

あと、ドガの作品でおそらく知人の夫妻の肖像画があった。

※ドガは印象派の画家として有名であるが、
印象派とされる画家の中で最も人物画(それは言葉通りの"人物画゛だけではなく風景の中に自然に人物が含まれている場合も含む)を描いている人だと思う。ダンサーの連作や、馬の連作、初期にはもちろん肖像画も多数描いている。

この肖像画を見て思ったのは、なんて自然な表情なのだろう、ということだった。
肖像画というと、どうしても口は真一文字に閉じられるか、もしくはその逆で、google image
で【笑顔】を検索した時に一番に出てくるような笑顔か、そういうのが多い。もちろん近代以前は前者が圧倒的だ。

だがこの夫妻の絵はどこまでナチュラルである。
よく写真を撮る際に、まだ撮られる側がまだ撮られると思っていなくて、表情を作ることもせず、ポカーンとした所謂「素」の状態を撮られることがあるかと思うが、まさにあれである。言ってしまえば、旦那の方は口は半開きで、嫁もどことなく不安げな表情。彼女はどこか、きっとまだ世界に「写真に撮られると魂を抜かれてしまう」という言説が蔓延っていた時代に、夫が言うからしょうがなく一緒にフレームに入っているだけで、本当は嫌なんです、とでも言いたげな顔だ。この日常の切り抜き間が印象派が印象派と呼ばれる所以でもあるのだが。。。

ミレーの作品もあった。【ルツとポアズ】と【馬鈴薯植え】くらいだったかな。農村の絵かきとして【晩鐘】、【落穂拾い】などで有名な彼である。農民の絵を書くというのは結構レアなのかな。田舎の風景がというのはよくあるけども。そう考えると16世紀のブリューゲルとかもあの時代にしたら例外中の例外だけど。。


※ミレーとだけ表記すると誤解を与えることがあるので、一応断っておくが、ミレーというのは、ジャン・フランソワ(バルビゾン派)の方で、ジョン・エヴァレット(ラファエル前派)の方ではないので、気をつけてください。英語で書けば区別できるのだけど、カタカナで書くとどちらも「ミレー」になっちゃうから。ここを混在している人結構いるよね。【落穂拾い】、【晩鐘】と【オフィーリア】、【カーペンターズ】を描いた人が同じではないですよwほぼ同じ時代に生まれるからややこしい。こう考えるとマネとモネもあぶなかったね。てかラファエル前派ってあまり日本に来ないね。ロンドンのテートモダンで見たロゼッティの作品とか是非また見てみたいけども。


というわけで話は戻ってって、、、あぁ、まだ半分位しか触れてないのに、もうこんな量になっている。
ブログの1投稿が長くなりすぎることに気をつけようと思っていたのに。全ては無駄な話の脱線のせいorz
じゃあ、後半は別投稿にしますかね。
ちなみに後半はモネ、シスレー、あとイギリスのランドスケープ画家コンスタブルとか、写実のクールベ、あとは後期印象派を少し。そんな感じかな。

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