ボストン美術館展(後半)

先日の投稿で、ボストン美術館展に行った話をしたのでその続き。
まだ見てない人は先にこちらを→ボストン美術館展(前半)

ちなみに、この話は美術嫌いには全くと言っていいほどつまらないものになっておりま
すので、その点だけご了承ください。

えーっと、前半は、肖像画だとか宗教画だとか多くて19世紀以降が好きな僕には
とても退屈な内容だったが、ここからガラリとテンションは上がっていく。いや、
正確には、不満は浄化されむしろ穏やかになっていくと言ったほうがいい。

前回書いた、ミレーの作品のあたりから僕の歩を緩めることになる。

まずドガの馬関連の作品でとても気になった一つ。
Edgar Degas. Carriage at the Races. 1869. Oil on canvas. The Museum of Fine Arts, Boston

ドガは上流階級のボンボンである。じゃなきゃ、競馬場にもバレエにもバーにも行かない。そんなドガが書いたこの作品の気になるところは、まずこの作品が彼が1874年の「第一回印象派展」※1に出した作品である。僕の家に来たことがある人は、僕の家の東側にモネの「impression, sunrise」のポスターが貼ってあることを目にした人もいるかもしれないが、あの作品も1874の第一回印象派展に出された作品である。

話/戻

ドガの“Carriage at the Races”には「田舎の競馬場にて」という邦題が付いている。これちょっとおかしくないか。
【at the rural races】ならその邦題もわかるけども。おかげで、この作品の題材が、競馬場なのか馬車なのかわからなくなる。こういうことがあるから嫌なんだよなー。※2ドガがタイトルにcarriageという単語を使ってるところからも、主役は馬車であり、そしてその馬車に乗る家族である。犬がいて、乳飲み子がいる、上流階級の家族である。だが、この絵のとおり、題材を中央に置かないキャンバスの使い方、全体像を入れないキャンバスの辺の使い方、これはまさにドガらしい。ドガは印象派の画家の中でもアトリエで作品を作るタイプである。だからなのかわからないが、印象派の特徴である短いストロークの筆さばきは比較的少ない。この作品もそうだろう。以前もどこかで言ったような気もするが、個人的に思うドガの絵の面白さはアングルと構図である。

続いて、モネの絵、10作品。

ここは本当に面白かった。有名な積み藁、ルーアン大聖堂、蓮池の連作からも1つずつ展示されていた。
モネの素晴らしさはなんと言ってもその光と色彩である。一目でわかる季節感、空気感、温度、時間帯。
第一回印象派展では「これを完成形とは認めない」とまで酷評された印象派であるが、それが現代にいたってはにここまで脚光を浴びるようになったのか。それは僕が印象派が好きな理由ともリンクする。

それはただそれまでの写実的に写し取るだけの作業から、
観る者に語りかけるような描写へと変わっていった
彼らの表現がなんとも心地よいのである。
田舎のランドスケープが多いこともまた僕の心を休ませ、ノスタルジックにさせるのかもしれない。

この後、セザンヌやゴーギャン、ピサロ、クールベ、またイギリスのコンスタブルなどの風景画が続く。
だがなんだか頭が疲れたので、それらについて語るのはもう諦めることにする。
ゴッホのオーヴェールの家は素晴らしかった。筆さばきのリズム感も質感も色彩も。
ピサロの淡い色彩も。

あれ、クールベって写実主義じゃんって?うるせー、いいんだよいいんだよ。
クールベは写実の人だけど、オルセーの2作品、あのちょーでかいやつ。あの2作品で田舎の小学校の体育館の床面積くらいあるんじゃないかってやつ。あれを見て僕は死んだのだ。埋葬されたのだ。だからいいの。
コンスタブルも別に印象派じゃないけど、風景画がきれいだよね。ターナーもコンスタブルも見た目からして全然印象派じゃないけど、あのへんは、なんだか僕を田舎に帰してくれるので好きなのだ。あー疲れた。




※1 第一回印象派展と記述したが、当初この展覧会には「印象派」などという言葉は付いていなかった。モネ、ルノワール、シスレー、ドガ等が「印象派」と呼ばれるようになった理由と関係してくるのだがその理由は諸説あるので知りたい人は調べると良い。

※2 ドガはフランス人だから、きっと元々のタイトルはフランス語だったんじゃないのか。carriageって英語じゃないか。そしたらあーだこーだというお叱りはそのとおりでございます。反論の余地なし。しょぼーん。

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